
トヨタF1が表彰台の頂点に立つ日
その1 |
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第一章 トヨタ90C-V
1990年、経済のバブルの崩壊が近いこの頃、レース界は逆に活況を呈していた。元来、景気の波から一拍おくれるこの世界は日本のFー1人気に便乗して盛り上がっていた。
クルマの両横綱、トヨタとニッサンが積極的にサーキットに出現するようになったからだ。過去、2回の日本グランプリで手痛い2連敗を喫したままのトヨタは、打倒ニッサンを合い言葉に、日本だけでなく世界でも、動き出した。

1990年、WSPC開幕戦の鈴鹿ラウンド。
トヨタは新車90CーVを投入。予選はポールポジション、決勝は4位入賞とまあまあの成績でスタートした。しかし、本場ヨーロッパの王者メルセデスとそれを追うジャガーの強さは予想以上であることが、はっきりした。
そして、WSPCはヨーロッパラウンドへ突入。
トヨタチームトムスは90C−Vと89C−Vの2台体制で臨んでいた。
第2戦のモンツアで予選グリッドは9、10位。決勝でも序盤でクラッシュ・リタイヤ。1−2をメルセデス、3−4ジャガーと、ここでも2大ワークスは付け入るスキを与えてくれなかった。
続く第3戦シルバーストン。あのミハエルシューマッハのWSPCデビューレースでもあった。しかしそのシューマッハは予選で規定違反で失格。まだまだ若いシューマッハだった。
予選でポールは2位のジャガーに1秒の差をつける圧倒的な速さでメルセデス。
トヨタは6位と9位。このレースには日本のトムスのエース、小河等がスポット参戦してきた。
しかし決勝ではメルセデスとジャガーに全くついて行けず、90C−Vは6周遅れの12位、 小河の乗った89C−Vはシューマッハと良く似た規則違反で失格。
メルセデス勢が珍しくリタイヤしたため、レースはジャガーと「ニッサン」の一騎討ちとなった。 実績のあるジャガーが1−2フイニッシュ。86年からシルバーストーンでジャガーは4連勝だ。ニッサンは終盤サスペンショントラブルでリタイヤ、もう1台もガス欠でチェッカーを受けれず3位表彰台をふいに。
実はトヨタに負けじと、ニッサンもルマン制覇を目指しWSPCにエントリーしていた。
準備を調えて参戦のトヨタに比べ、ぶっつけ本番のニッサンが、トヨタより上位でフイニッシュする事がトヨタには何より悔しかった。が、結果がそうだからどうしようもない。
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第4戦スパ。F1と掛け持ちの鈴木亜久里にステアリングを託して、何とか失地を挽回しようとトヨタも懸命だ。しかし、そのプレッシャーからか亜久里の90C−Vが大クラッシュ。 決勝への出走を断念する。 残った89C−Vは、予選は6位とまずまずながら決勝は7周遅れの18位。
燃費規制が敷かれていたWSPCではターボのブーストを上げれば速いが、ガソリンが持たない、下げればラップタイムが落ちるという単純な現象をトヨタは克服できないでいた。
メルセデス、ジャガーの2大ワークスはトヨタより明らかに速いタイムで、ガス欠に気を回すことなく周回していた。 ぶっつけ本番のニッサンは、データーのないぶん、トヨタ程に神経質にならずにメルセデス、ジャガーを追い回すことができた。 結果としてこのレースでもニッサンはメルセデス、ジャガーに次ぐ同一周回の3位表彰台。恐いもの知らずの強みが発揮された。
第5戦はルマン24時間レースだ。しかし、24時間耐久レースはWSPC選手権はかけられていなかったためメルセデスワークスはルマン不参加だ。参加ワークスは、ジャガーと日本のトヨタ、ニッサン、マツダの4メーカー。
 ジャガーはWSPC用のターボでなく7リットルV12NAエンジン搭載のXJR−12が4台。
ニッサンは5台のワークスマシンを投入した。
マツダも初のカーボンモノコックマシン、787を投入。アドバイザーにジャッキーイクス、ドライバーはF1パイロット、ヨハンソン、 ガショー、バイドラー、ハーバードと蒼々たるメンバーで固めてきた、密かに本気でロータリーでのルマン制覇を期している。 トヨタは90C−Vをエントリー。チームトムスから2台、No.36のリース/関谷/小河、
No.37に亜久里/ダンフリース/ラバグリア、15年ぶりのルマンとなる加藤真率いるトヨタチームサード(No.38、長坂/ラファネル/ラッツェンバーガー)から1台の合計3台。 日本車は総勢13台とエントリーしたマシンの1/7を占める大盛況、まさにバブル絶頂期だ。
予選初日、トップタイムをマークしたのはニッサンR90CKのブラバム。ブーストをおもいきりあげられる予選で日本勢は強い。 対するジャガーは24時間レースを見越して、巡行スピードを重視したチエックに余念がない、日本勢は完全中継が決まったテレビ朝日の特番を意識して予選トップを狙っている印象だ。
予選2日め、ニッサンはNMEのブランデルが前日を6秒も上回る3分27秒02で日本車初のポールを獲得する。実に順調なニッサンだ。一方 トヨタはNo.36ミノルタが3分37秒13で10番手、以下No.37タカQが3分38秒72が14番手、No.38デンソーが3分39秒76で16番手。ジャガー並みに、決勝を意識した、早めに問題箇所を消去する作業に没頭していた。
兎と亀のニッサンとトヨタ。果たして結果は、
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第二章 1990年第58回ル・マン24時間レース
1990年、6月16日午後4時(日本時間午後11時)決勝がスタートした。
まず飛び出したのはベイリーのNo.24YHPニッサン。ブルンポルシェ、No.23カルソニック・ニッサンの長谷見が追う。 1回目のルーティーンピットワークを終えた後、トップグループを形成したのは4台のジャガー、3台のニッサン、それにブルンポルシェの計8台。
 トヨタはこの時点で大きく遅れていた。まだ夜がきてないとは言え、トップグループから大きくはなされて周回するトヨタは。果たして挽回できるのか?
スタートから4時間過ぎた。 快調にトップで飛ばすベイリーのNo.24YHPニッサンが,
早くも周回遅れにしようとした亜久里のタカQトヨタに接触亜久里はリタイヤ。ベイリーはなんとかピットに辿りついたが首位陥落だ。これを境に順調だったニッサン勢にもトラブルが襲いかかってくる。
既にNo.25JECSニッサンはリタイヤしていた、No.84ユニシアニッサンもホイールは外れるトラブルで脱落、順調に追い上げて来たたNo.24YHPは深夜にミッショントラブルでリタイヤ。
No.23カルソニックの長谷見もブレーキトラブルを抱えてラップがあがらないまま、翌朝にサスペンショントラブル優勝争いから脱落した。
唯一首位グループにいたNo.83NPTニッサンも、翌朝午前9時前、燃料タンクからのガソリン漏れでリタイヤ。ニッサンの90年ルマン制覇はこの時点で消えた。 残された期待はNo.23カルソニックの長谷見が表彰台は狙うのみだ。しかし、長谷見もミッションがオーバーヒートし、表彰台も諦めてピットに入った。残り時間を考えて、このままゴール直前までピットに待機し、最後にチェッカーを受ける完走狙いもある。 しかし、ニッサンはわずか12分でミッション交換作業を終え、最終ドライバー利男と共にコースに復帰した。
ニッサンの作戦は、せめてトヨタの前でチェッカーを受けるだ。
No.36ミノルタトヨタの前の6位でコースに復帰し、そのままトヨタを押さえゴールイン。しかも、2位を走行中のブルンが残り15分でリタイヤしたことでNo.23カルソニックニッサンは日本車、日本人史上過去最高の5位でレースを終えた。続くNo.36ミノルタ90C−V=リース/関谷/小河は6位である。
「攻めた」ニッサンに観客は惜しみない拍手を送った。一方作戦通りなのか、トップ争いに加わることなく、6位完走したトヨタは、宿敵「ニッサン」の後塵を拝したことが唯一で大きな誤算だった。
<文中敬称略で使用させていただきました。>
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