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サッカーでメジャーとなった「サムライJapan」


その元祖は50年以上昔の1964年(昭和39年)


アメリカ大陸で大ブレークした


”チーム サムライ”だった。これホント。

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1964年。
翌年にサニーとカローラが発売され、日本は本格的なマイカー時代に突入する。 栄光のルマンレースでは、フェラーリーが最後の優勝をする。ヨーロッパは相当進んでいる。 アメリカもフォードムスタング、ステイングレイ(コルベット)など、スペシャルティカーが 人気を博している頃だ。
前年の1963年(昭和38年)第1回日本グランプリが開催され、国産自動車メーカー全てが参加という大盛況だった。当時、日野自動車は乗用車を生産していた。それが、フランスのルノーのノックダウン生産から得たノウハウを集結した国産車、コンテッサ(リアエンジン・リアドライブ)だった。
そして、この年の第2回日本グランプリは、後の語り草となる、式場壮吉のポルシェ904GTSと生沢徹のプリンス・スカイラインGT(54B)の名勝負が生まれた。

このグランプリの後、日野はコンテッサ900を984ccにボアアップし、アメリカ人ドライバー/ロバート・ダンハムと共にアメリカ大陸へ送りこんだ。
チーム名は"日野サムライ"。当時のアメリカはバブル経済で、4000cc、5000ccの大排気量車が一般に普及しており、排気量1000ccはクラスCと、ボクシングでいうフライ級だ。
最軽量クラスだが、レースは大きいクルマが勝つとは限らない。時にはクラスAやクラスBのでっかい外車?をコース上で抜き去って、日野のコンテッサとチームサムライの名はアメリカ、カルフォルニア州に響き渡った。
ちなみに、この年の1,000以下のセダンのクラスでは優勝2回、2位1回。

コンテツサ1000GT 1964年度成績

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リバーサイドGPで活躍したコンテッサGT


アメリカ・カリフォルニア州リバーサイドGPレース
1964年10月10日

一周2.5マイル(四キロ)/75周(300キロ)

●日野コンテッサGT/GTクラス2位

●ドライバー:ロバートダンハム

●予選通過車:54台/完走:33台
●主な出場/ロータス11、オースティンヒーレー、スプライトS、ロータス・セヴンA


CCA主催カリフォルニア州ウイロスプリング、ヒルクライム
1964年11月1日

●1,100クラス/優勝/td>

●コンテッサGT●ドライバー:ロバートダンハム/td>

●2位コンテッサGT●ドライバー:E・ブロック


●コンテッサGTレース仕様
エンジンOHV4気筒、排気量:985cccc 
<その他の仕様>バケットシート、ロールバー、安全ベルト、プラスチック製窓ガラス、強化サスペンション、後輪逆キャンバー角3°、フロント燃料タンク、前進四段ミッションスペシャルカムシャフト、ツインキャブ、高圧緒比へッド、最高速度160km/h


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米国スポーツカー連盟主催

アメリカ・カリフォルニア州ウイロー・スプリングス/ヒルクライム地方大会
1964年11月9日

1.9キロ丘陵コース ●主な出場/BMW、ミニ・クーパー、ボルボ、MG1100、フォルクスワーゲン、ルノー

クラス優勝●総合4位●ドライバー:ロバートダンハム

クラス3位、●総合6位●ドライバー/ピーター・プロック


アメリカ・カリフォルニア州デル・マー/1964年11月2日

一周2.1キロのコース

1,000以下のセダンのクラス
●クラス優勝●総合3位/コンテッサGT●ドライバー/ダンハム

(綜合1位/ミニ・クーパーS(1295cc)2位/MG1100)


アメリカ・カリフォルニア州ウイロースプリングスのレース

八周目ギアミス、リタイア

●コンテッサGT●ドライバー/ダンハム


年間成績

1,000以下のセダンのクラス

二位一回

優勝二回

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1966年、夏。フルモデルチエンジしたコンテッサは、排気<量を1300cc。イタリアのカロッエリア、ミケロッティデザインによる美しいクーペをラインナップに加え、再び、アメリカ西海岸に上陸した。ドライバーはピ−ト・ブロックとボブ・ダンハムという、強くて楽しいそうな二人だ。
前年の1965年に東京近郊の「船橋サーキット」で行われた全日本自動車クラブ選手権レースで、トヨタスポーツ800の"浮谷東次郎"は、ホンダS800の"生沢徹"とコース上で接触、スピン。浮谷は急いでピットイン。曲がったフェンダーを叩いで修復し、再びコースイン。その後の奇跡の追い上げで、瞬く間に首位の生沢に追いつき、そのまま抜いて優勝!という漫画か映画のような逆転勝利を上げた。それが、今も語り継がれる日本のモータースポーツ黎明期時代の寵児"浮谷東次郎"だが、その一ケ月後に鈴鹿で死んでしまった。「船橋サーキット」では引き立て役となった生沢はこの後、人気NO.1レーサーとなり、ヨーロッパF3へステッアップしていった。
コンテッサ・クーペでカルフォルニア州を転戦するアメリカ人ピ−トが、1966年、カルフォルニア州リヴァサイドで"浮谷東次郎"と全く同じ奇跡の逆転劇を演じたことを、知る日本人は少ない。

コンテッサ1300クーぺ - 驚異の逆転勝利/1966年8月

〜カルフォルニア州リヴァサイド6時間の死闘〜 hinonews19669i.jpg
チーム・サムライ:ピ−ト・ブロック(左)とボブ・ダンハム(右)

ピートとボブのサムライ道中

午後1時半にスタートし午後7時半、チエッカーとなるカリフォルニア州、リバーサイド6時間耐レース。
ピートとボブの二人は赤い2本のストライプが入ったコンテッサクーペのレース仕様でチーム・サムライからエントリーした。
ピ−トはポルシェに乗って昨年度全米スポーッカークラブのチャンピオン、A・ジョンソンとコンビを組む。ポプはシェルビイ・アメリカン・レースドライヴィング・スクールの主任教師J・ティマナスとコンビを組むことになった。 riverside.jpg出場車は55台。ピートのコンテッサは総合で予選21位。もちろんクラスC(1000-1300ccクラス)の1位だ。本格的なスポーッカ−を除く量産車の中ではコンテッサは4位で、上位にいるのは、2台のムスタング(4500ccV8エンジン)と1台のアルファ・ロメオGTA(当時珍しいDOHCエンジン搭載)だけだ。
クラスCの予選2位がミニクーパーS、ボブのコンテッサが同3位、以下フォード・アングリア、MG11OO、3台のVWワーゲン、カルマンギヤ、ルノーが続いた。ボブは総合でも39位だ。

いよいよスタートだ。ルマン式スタートである。
先ずミニ・クーパーが飛び出した。ビート/コンテッサがあっさりこれを捕えて1周目、コンテッサがクラス1位でピット前を通過していった。 start1969.jpg ポプ/コンテッサも上出来のスタートを切った。第1コーナーまでに早くも8台から10台を抜き総合でも20位以内を走行している。しかし、絶好調のビートの美しいコンテッサクーペが急に"醜女(ブス?)"になってしまう悲しい惨事が待っていた。
10周目の第4コーナーでクラスの違うスポーツカーのスピット・ファイアを追抜いた瞬間、スピットの左フロントがコンテッサクーペの右リヤーフェンダーを激しくプッシュした。コンテッサは猛烈にスピンしながらに空へ飛出し、空中で二回転したうえ、恥ずかしくも四輪を空に向けた逆さま状態で止まってしまったのだ!まるで美女のスカートの中をさらけ出すように。
幸いピートに怪我はなく、クルマからはい出て、心配そうに走ってきたボブに「行け、行け、行け」とサイン出した。
ピートの無事を確認して、ボブは大いに張り切った。すぐにミニを抜きクラス1位を奪回。
しかし、始ったばかりの6時間レースの、序盤で、僚友ビートが消えた事は痛かった。

revers1969.jpg車をひっくリ返し、なんとかピットに辿り着く。競技委員がリタイアだろう、と言うのをビートはきっぱり断った。
ピットもこれでレースを終える気など全然ない。巨大なハンマーでつぶれた箇所をガンガン叩き出した。競技委員は危険だからリタイアしろと、しつこく云うが、ビートは、頑として受け入れない。叩いて直したクルマにオイルもガソリンも入れた。
しかし、競技委員も譲らない。烈しい口論の末、しぶしぶながら競技委員が折れた。
この間なんと約30分、宿敵ミニに遅れること実に17周だ。
それでもビート/コンテッサは走れる嬉しさで脱兎のごとくコースへ復帰していった。
一方、ボプ/コンテッサは、追ってくるミニを出来るだけ引き離そうと懸命だった。
その時、バックミラーに真赤な2本ストライプが写ったと思ったら、猛烈なスピードで追い抜いていった。
にっこり笑って、手を振ってステアリングを握ってるのは、紛れもないピート/コンテッサだった。
しかし、今からばん回するのは物理的に無理だと、ボブは思った。
戦線復帰はしたものの、ビート/コンテッサはタコメーターを含めた全てのメーターが動かない事に気づいた、しかも、前後左右にウインドウ・ガラスがないため巨大な風圧を顔面に受けながらの走行に大いに戸惑った。あげくには、風圧で残った天井の内ばりが垂れ下がってくる始末だ。
やむなく、再度ピットイン。内ばりを全部とっぱらって、三度目のレース復帰だ。

Pushedriarfender.jpg クラス首位をいくボブ/コンテッサはスタート2時間して副ドライパー、J・ティマナスと交替する。
2位のミニを1周と27秒りードしての交代だ。しかし、テイマナスはボブよりもラップタイムがかなり落ちる。ボブはミニに追い付かれることを覚悟した。
問題はテイマナスどのくらい放されずにドライバー交代まで持たすか、だった。

ビート/コンテッサの方はエンジンが絶好調で、1周2分弱というハイ・ぺ−スで着実に遅れを取り戻していた。クラスCの出走車との大差を確実につめていた。しかし、まだ、トップのコンテッサ(交代したテイマナス)との差は17周ある。
ところが首位の我がコンテッサの方に厄病神がやってきた。必死でドライブするドライバーをあざ笑うかのように、エンジンからもうもうと煙を吹出してピットの前を走って行った。
次の周にでピットインすると、4気筒のエンジンの2気筒が燃えて無くなっていた。
エンジンの積み替えは最低でも1時間近くかかる。ここで、あえなくボブ/コンテッサはリタイアとなった。

crush.peart.jpgついにミニが首位に立った。ボブ/コンテッサのリタイアを確認して、ミニは若干ペースを落としたクルージング体勢に入った。コースの気温は約38度もありエンジンを少し冷やす必要があったからだ。2位はフォード・アングリア、3位、4位はワーゲン勢だった。

午後4時、快調なエンジンを響かせるビート/コンテッサがセカンド・ドライバー、ジョンソンと交替した。
ボブのパートナーは少し頼りなかったが、ビートの相棒ジョンソンは安心して任せられる経験と速さを持っていた。燃料を補給し、タイヤやオイルを点検し、小躍りするようにジョンソンはコースへ飛び出していった。
期待通り、ジョンソン/コンテッサは2分3秒〜5秒の安定して、しかも速いラップタイムで走行し、1時間後に2台のワーゲンを抜いて3位に上った。さらに、約45分後、ペースが落ちてきた2位のフォード・アングリアも捕らえ2位に浮上した、ピットが沸く。ジョンソンにピットから「P2」のサィンが提示された。
しかし、首位のミニクーパーは勝利を確信して自信満々、迫上げられている事など微塵も感じず、余裕のクルージングをしている。
チームサムライは毎レース、ピットの屋上で、正確な周回表を記入していた。
そのおかげで、チームは絶えず、レース中のコンテッサの順位を、把握する事が出来た。
これに反して、ライバルのミニは、サーキットの公式発表に頼っていた。ドライバーが今何周目かは掌握せず走っていた。
この当時のサーキットの順位発表は、現代のような自動計測でなく、サーキットの要所に配した競技委員の周回記入表を集計して発表していた。
従って約20分遅れの順位しか発表できなかった。20分あれば順位は二転三転するのが、当時も今も同じだ。

brake.frontwindow.jpg 午後6時、ジョンソン/コンテッサはその正確なドライビングを終えてピットに入った。
2時問にわたる彼のドライビングは、タコメーターなしでラップタイムのバラツキは0.5秒以内という、抜群の、正確さだった。
そこでビートが最後の1時間半のために勇躍ピットを後にした。
ピットで待機するボブや、チームサムライの面々の顔には「このレースまだわからないぞ!」と大きく描いてあった。
ミニに対して17周あった差が、たった5周に縮まっていたからだ。
さすがのミニ・チームも、ピット・サインが「↑UP」になっていた。

午後6時30分、風圧を顔に受けながら飛ばすピート/コンテッサはミニとの差を2周半につめ奇った。
追われるプレッシャーを感じたミニ・チームは、エース・ドライバーに交代するために急遽ピットイン。万全を期して燃料補給をし、エースで何としても逃げ切る作戦をとってきた。
この間に、労せずして1周、ミニとの差が詰まった。
RRのコンテッサはフロントの大型タンクのおかげで、最後まで補給なしで走り切れる。
ここヘ来ても、エンジンは全く快調だ。レースはFFの英国ミニクーパーSとRRの日本製サムライ コンテッサの闘いという、非常に興味深い闘いとなってきた。

夕幕れと共に、路面温度は急速に下がってきた、その分、エンジン、タイヤに負担が少なくなる。
リタイアしたクルマも多く、コースのベストラインを走行できる、など追い上げるコンテッサに有利な要素が増えてきた。
チーム・サムライのビート/RRコンテッサは着々と首位を行くFFミニを追い詰めていた。

hinonews19669d.jpg 「このレースまだわからないぞ!」が「いや、このままいけば勝てる」にチームサムライのピットは変わってきた。
必死で逃げるFFミニを、ピート/コンテッサは力強く、確実に追い上げている。毎周5秒ずつその差が縮んでいた。
午後7時15分、レース終了まで15分の段階で、遂に、ピート/コンテッサがFFミニと同一ラップになった!
さらに、差は詰まって、ミニのテールがビートの目に鮮明に写りだした
ピートは追いついたら、得意のアウト・ブレーキングでミニを一気に抜くつもりだ。
フロントウインドウなしで顔に受ける強烈な風圧が、フッと無くなった時、コンテッサのフロントとミニのテールが最も接近した時だ。
しかし、次の瞬間、ミニの前を走る周回遅れがコース上のオイルに乗りスピン。
ミニは巧みにかわしたが、ブラインドになっていたビートには、突然ミニの横から飛び出してきた物体をステアリングでかわすのがやっとだった。
車速が落ちた分、再び、ミニとの差がついた。
レースは残り時間、5分弱、周回にすればあと2周しかない!
ビートはアクセルを床まで踏んづけて追いかけた。
ミニも最後のパワーを振り絞って、逃げる
そして、運命の最終ラップ、もうこの周しかない。
バックストレッチでミニに迫いついて、スリップ・ストリームに入る、再び顔への風圧が減って、ほっとする間もなく、左回り最終コーナーだ。もう後がない!!
ファイナルアンサー!!だ、 ミニはインを締めてくる、そのさらに内側へビートはコンテッサのノーズを強姦するように差し入れた、そのまま最終コーナーでミニに並んだ。内側にコンテッサ、すぐ横にミニ、のまま最終コーナーを抜けて行く。
コーナー出口が見えた瞬間、ビートはブレーキを鋭く踏んだ。必殺のアウトブレーキだ。
トラックはひどくつるつるで、コンテッサはテールブレーク気味に横すベリして、ミニのサイドにコッンと当った。
コーナーでRRのコンテッサはオーバーステア、FFのミニクーパーはアンダーステアという駆動方式からくる消せないコーナリング性が、最後の局面で顔をだしたようだ。そして、 そこにミニがいなければ流れ続けたコンテッサのテールが、ミニがストッパーとなりスライドが止まった。当てられたミニより 当てたコンテッサはリアタイヤのトラクションが架かりやすく、加速する瞬間がミニよりコンマ何秒か早かった。コンテッサクーペが一車身分速くゴールラインを突っ切った!!

カルフォルニア州リヴァサイド6時間/1000-1300ccクラス

1位 コンテツサI300/ピ−ト・ブロック&A・ジョンソン

2位 ミニ

3位 フォルクス・ワーゲン

4位 フォルクス・ワーゲン

<文中敬称略で使用させていただきました>


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