Team_Samurai_Logo_2.jpg
hino66.logo.jpg
VOL,2

まさに手に汗にぎるデッドヒート。ビートのキャラクターなのか、この時代のクルマの性能がドラマチックなのか?最近、この手の"面白いレース"にはなかなかお目にかかれない。
ライバルのミニはミニクーパーだが。アメリカにこんなにミニが普及していたことも驚きだ。 ワーゲンもしかり、日本は、まだコロナマークIIが発売された頃なのに-------。

Contecha22.jpg

デザインは現代でも充分通用する。ベルギーの第6回国際自動車エレガンス・コンクール名誉大賞受賞した秀作だ。

またも”サムライ”の偉業/1966年12月

contessacoupe.jpg

〜宿敵ミニ・クーパーを打倒〜
●カルフォルニア州リヴァサイド・グランプリ
practice.jpg公式予選ではピートの"コンテッサ・クーペ"は三台のミニ・クーパー(ボブ・ウェスト、ドクター・ライエル、テッド・ブロック)に次いで4位だった。

スタートでボブ・ウェストの"ミ二"を抜き、すぐさまドクター・ライエルとテッド・ブロックの真赤な2台の"ミ二"とのデッドヒートになった。""コンテッサ・クーペ"は、立ち上がり加速に有利なRR方式で足回りもチューニングが施せられている、コーナーでライバルより深く突込んでもstart.jpg安定してコーナー脱出できた。対する”ミニクーパー”は、立ち上がりに不利なFFだが、軽量小型のボデイがその欠点をカバーし、直線スピードは"コンテッサ"より速かった。ピートは速い”ミニ”のスリップを利用する事を考えていた。
3周目、ビートは得意のアウトブレーキングで、前を行くドクター・ライエルのインに飛び込み、出口で一気に加速。順位を一つ上げた。

chais-wiyh-mini.jpg次はデッド・ブロックだ。テッド・ブロックの”ミニ”は一段と鋭い立ち上がり加速をもっていた。そのため、コーナーで追いつてもコーナー出口で置いていかれるという展開となった。
ドライバーのテッド・ブロックはクラス優勝の常連だ。実に手強い。
彼の得意がスリップストリーム走法=速い車の後部に生じる吸込み気流を利用して、自分を引っぱらせる走法だ。彼のスリップに吸いつくタイミングは絶妙だった。""ミ二""のスリップを利用するつもりのピートだが、中々そうさせてくれない
そうしてる間に、レースはあと4周となった。この周、テッド・ブロックがほんの少しミスってくれたため、ピートは難なく前に出る事に成功した、しかし、その周の第6コーナーで、順位に関係ないルノーゴルティーニがクラッシュ。後片付けのため、各ボストの黄旗が一勢に振られ、迫越し禁止となった。当然のように、テッド・ブロックの”ミニ”がビートの真後ろに迫ってきた。
ビートは黄旗の解除を待ちながらジリジリしていた。すると、事故現場を過ぎたところで、ブロックが一気に加速してビートを抜き去った。一瞬、呆気にとられたビートは、次に自分の愚かさに腹を立てた。既に、この周の事故現場以降は黄旗解除されていたのだ!!
ビートは猛然と"ミ二"を追った。残りはたった2周しかない。
ブロックはタイヤをわざとダートに入れ、後続のビートに砂利を飛ばして逃げる。敵ながらあっぱれなテクニックだ。"コンテッサクーペ"は”ミニ”に比べホイールベースが長い、その分、大きなRを描く最終の第9コーナーではコーナスピードが高い。

先頭のテッド・ブロックの"ミ二"は最後ラップの最終コーナーまで2、3車身、ピートに先行していた。勝負をかけたビートはこのコーナーの侵入スピードを目一杯高めて、ブレーキングを遅らせた。差が見る見る詰まってくる、 final-win.jpg
優勝を意識して慎重にブレーキングしたミニは、その横に"コンテッサ"のノーズが見えた事に焦った。あせって、立ち上がりのアクセルのタイミングが僅かだが狂った。前輪が虚しく空転し、前進するエネルギーが食われた。 ビートの"コンテッサ"はガッチリと後輪がアスファルトをグリップしてコーナーを立上がった。
しかし、ブロックの"ミ二"も鋭い立ち上がりを取り戻して、ゴールラインを目指して加速する。
結果は、わずか一車身のリードをとってビートの"コンテッサ・クーペ"がゴールへ飛込んだ。

カルフォルニア州リヴァサイドGP/1000-1300ccクラス

1位 コンテツサI300/ピ−ト・ブロック

2位 ミニ/デッド・ブロック

3位 ミニ/ドクター・ライエル

4位 コンテツサI300/ボブ・ダンハム

staf&wife.jpgピートが逆転優勝し、ボブもまた4位に入った。チームにとって名誉なことだが、ビートは、全力を尽くして戦った満足感がたまらなかった。結果は、"コンテッサ・クーペ"の優勝という最高の成績となったが、2位となったデッド・ブロックに礼を云いたい気持ちだった。ピットへ帰ると、まっ先にデッド・ブロックと抱き合って、互いの健闘を讃えた。
ボブもピットクルーも、そのまま、プールに飛び込みたいくらい興奮した。
クラスCながら総合でも6位と10位という結果は、レースの興奮からすれば、「あっ、そう。」 とウオッカでも飲みながら相づちを打つ程度だった。クラス優勝だが、その中身はオリンピックの金メダルのような感動だった。

hino66.logo.jpg

フイリピン・ルソン島というと、1974年、フィリピンのルバング島で発見された小野田寛朗元陸軍少尉を思い出す。この1967年はまだ彼が山の中に隠れていた頃だ。地図で見るとルバング島は首都マニラのあるルソン島の孤島だ。案外、横井さんもこのルソン島一周耐久ラリーを見て、戦争は終わったのでは?と思ったか。

フィリピンルソン島一周耐久ラリー/1967年4月13日〜16日

RUSON.JPG

1967年度フィリピンルソン島1周耐久ラリーは4月13日より16日までの4日間にわたって行われ、日野コンテッサ1300がクラスC部門に3台出場優勝および2位を獲得した。 このラり一は例年シェル石油の主催により,開催され、同国最大のモータースポーツ行事として同国民より最大の関心が寄せられている。出場車は現地組立車に限られ、フォルクスワーゲン、ルノー、メルセデスベンツ、日本車など42台が出場してルソン島の21都市延3,000キロのコースで4昼夜にわたって熱戦がくりひろげられた。 クラスCの成績はつぎの通り

1位 コンテツサI300

2位 コンテツサI300

3位 ブルーバード

<文中敬称略で使用させていただきました>

BACK_ICN.GIF  コンテッサ1000GT編

NEXT_ICN.GIF  日野のクルマ編


thomTOM, およびtTt_factoryは商標および登録商標です。
E-mail:thom7gashima@yahoo.co.jp © 2005 tTt All rights reserved ™