1.胎動から躍動

昭和47年3月と10月に合次いで新日本プロレスと全日本プロレスが誕生した。各々、アントニオ猪木とジャイアント馬場という、BABA.gif今も名のあるレスラーが代表だ。元を正せば、力道山。戦後、TVが普及し、その人気番組といえばプロレス中継。INOKI.gifでっかい外人を倒す日本の力道山は国民的大スターだった。
その力道山の死後、弟子にあたる猪木と馬場が袂を分ち合い(単なるケンカか?) 二つのプロレス団体は生まれた。野球のセとパのよううなもので、プロレスといえば、このどちらかしかなかった。国際プロレスという水曜日の7時からやる団体はあったが、すぐ潰れた。いや、昭和47年前かな、あったのは?忘れた。

SAKA.gifこの"人間のプロレス図鑑"は筆者の知ってる範囲でしか語りません(語れません)。あしからず。TSURUTA.gif
そこで、猪木に坂口が来た。世界の荒鷲だ。馬場さんちにはジャンボ鶴田が加わった。そこへいろんな外人が来て、日本人VS外人というプロレスの定番を2つの団体は興行した。全日に輪島、天龍という大相撲のOBが上がり、鶴田、馬場と闘うようになると、新日は北尾が大相撲引退後、加入した。
しかし、タイガーマスクの登場で、プロレスの流れがガラリと変わった。メキシコのルチャ修行をしていたTIGER.gifタイガーは旧来の岩石落とし、空手チョップのプロレスを、ロープとリングを使った三次元プロレスへと変えた。今も続く"自由なプロレス"へのスタートラインともいえる。

タイガーマスク人気は凄まじく、ややマンネリによる低迷気味のプロレスを金曜八時のTVの目玉番組に盛り返させた。その後の藤波と長州の"名勝負数え歌まで、毎週金曜八時は名司会者、古館一郎とともにプロレスの独壇場だった。三菱の掃除機"風神"は観る者の深層心理に訴えるように、HANSEN7.gif今も僕の頭に残ってる。一方の全日は、"受け"の美学.。強靱な肉体を持つ巨大レスラーが主役の正統派スタイルを変えなかった。地方巡業の多さが馬場全日本の特徴の一つで、ハンセン、ベーダー、ブッチャーなどの外人が日本全国を回った。王道プロレスとも称され、力道山伝統の勧善懲悪、日本vs外人の構図によるプロレスは日本の各地で大歓迎されていた。

新日本は、タイガーがマスクを脱いで引退してしまった後、前田、高田、船木、藤原などによるサブミッション、スープレックスを駆使するリアルレスリングがMAEDA.gifKUMICHO.gif台頭してきた。前田を筆頭とする"UWF"だ。UWF対新日正規軍との抗争は、STIGER.gif新日を戦闘的なレスリング団体に変えていった。誰が言ったか"ストロングスタイル"。全日の"明るく、楽しく、激しいプロレス"と完璧に一線を引くカタチとなった。
この間、全日から天龍が"WAR"、大仁田が"FMW"を設立。全日には2代目タイガーマスクも出現。新日の前田も、長州の顔面を後ろから殴打→クビとなり、本格的に"UWF"を立ち上げた。新日、全日の2大ブランドの時代から"WAR""FMW"UWF"とプロレスは他団体が郡勇割拠する戦国時代へ突入した。

2.激動から収束へ3.核分裂から飛翔へ


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