thom長嶋 |
四季桜 |
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かれこれ五年間故郷に帰っていないと、ぼちぼち、恋しくなってくる。父、母、同級生達、みんな元気かな?突然帰っても、のぼりを建てて歓迎してくれるとは思わないが、果たして、笑顔で迎えてくれるか、と少し不安になってくる。まあ、その時はまた、戻ればいいけど。 なんと、故郷「小原村」が近隣の豊田市と合併したと言うニュースをネットで発見した。 そうか、田舎は田舎で進化してるんだな。進化が止まってるのは自分だけかな、などと、自分の不甲斐なさをうらむ。でも、まあしゃあないか。 これ小原の四季桜。とてもきれいです。 春と秋の二度咲く珍しい桜 秋は山の紅葉と重なってとても見事です まさに幽玄の美がここにある |
歴史・遺跡 ●小原歌舞伎 |
能の世界は独特である。江戸時代に庶民の文化として興隆を極めた舞台ショーだが、日本で観た事がなかった。 カンボジアではじめてみた"日本の田楽"はいたく感動した。カンボジアの民族踊りのようなものだが、その晴れがましさ、芸術としての完成度がグンを抜いている。それと似たようなのが小原にもあるらしい。 このあたりは、どこの地方でも同じで、戦後の好景気が、古くて理解し難い古典芸は見捨てられていったようだ。その後、豊かな時代になって、愛好者による「小原歌舞伎保存会」が発足し、現在に至る。保存会では振付け、義太夫、三味線を自前で行っており、昔ながらの小原独特の型を大切にしながら伝統を継承。公演は年2回程行われ、村指定無形民俗文化財となっている。 |
歴史・遺跡 ●市場城址 |
織田信長と武田勝頼の上洛に向けての戦いが三河山間部から今の豊橋平野にかけて繰り広げられた。最後は、信長の鉄砲隊が武田軍団を倒す長篠の合戦で信長の勝利だった。足助城が小説に出てきた事があるが、小原の城は登場しなかった。しかし、小原村には11の城館跡が確認されており、その中でも最大なのが市場城。以前は小原谷 |
歴史・遺跡 ●仏閣 |
●仁王像 仁王門 どっしりと構える道慈山観音寺の仁王門は、江戸時代の寛政7年に建立。その内部には、高さ2m ●木造薬師如来座像 川見薬師寺の本堂に安置されている村指定有形文化財。室町時代後期のもので、寄木漆塗造になっている。「薬師寺中興建立記」という文献に、江戸時代の寛文5年(1665)8月8日から50日間、開帳がなされたという記録が残っています。 ●燈籠2基 川見薬師寺にて江戸時代に建立されたもの。本堂に向かって右が218cmの香繩燈籠、そして左は内方(妻)燈籠で3cm低くなっている。「元禄十六年癸末年十月八日」と刻まれており、火袋には日月が両側面に彫り抜かれている(村指定有形文化財)。 ●宝篋(ほうきょう)印塔 三ツ久保の祝峰寺にある宝篋印塔は室町時代につくられたもので、向かって右が全高66cm、そして左が64cmの2基。前洞の善洞和にも1基残っています(ともに村指定有形文化財)。 ●五輪塔 桃山時代の武士を供養した全高49.5cmの墓で、宇治石でつくられたもの。三ツ久保の宝篋印塔の隣にあり、今も完全な形で残る貴重な文化財です(村指定有形文化財)。 ●古墳 円墳である堤第1号墳は横穴式の石室を内部構造に持つもの。小原中学校裏の山頂に位置し、蓋杯、フラスコ形瓶等が出土。また、その北東には宮口古墳群があり、4基の横穴式石室が半径15m内外に近接している。昔、タイムカプセルを埋めた覚えがある。 ●杉田久女句碑 杉田久女は、高浜虚子に師事し大正末期から昭和初期にかけて女流俳人として活躍しました。松名の杉田家の宇内と結婚、昭和21年、56歳で没するまで北九州の小倉で住みました。句碑はゆかりの他、松名に建立され「灌沐(かんよく)の浄法身を拝しける」と刻まれた久女の代表句は、尊い文学の道しるべとなっています。 |
歴史・遺跡 ●神社 |
●道慈山観音寺 ●川見薬師寺 |