原作、五木寛之「ヘアピン・サーカス」
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●出演
鳥尾俊也--見崎清志(レーサー)
鳥尾紀子--戸部夕子 (俳優)
小森美樹--江夏夕子 (俳優)
水上理恵--笠井紀美子(歌手)
ター坊----佐藤文康(レーサー)
アキラ----舘 信秀(レーサー)
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19××年東洋のモナコGPと云われるマカオGPで、ライバルだった三沢を事故で死なせてしまった主人公"鳥尾"は、華やかなレースの世界から遠ざかった。
しかし、妻も子供もいる島尾は、遊んで暮らせる身分ではなかった。就いた職は自動車学校の教官だった。
死と直面することもないが、燃えるような興奮も、明日への躍動もない仕事。
それでも月日が過ぎることでカラダが適応していく。
教官の仕事を淡々とこなし、決まった時間には家路につく毎日に馴染んだ頃、その事件は起きた。
休日にXY道路を家族でドライブする島尾は、その横を猛スピードで追い抜いていく2台に驚いて、スピードを落とすと、さらにその横を猛スピードで追い抜いていく3台のクルマが続いた。
俗に云う、公道バトルだ。しばらくして、きついヘアピンコーナーで一台のクルマがクラッシュしていた。
"それらしいクルマ"を見つけバトルをけしかけ、最後に相手を事故(クラッシュ)に追い込む、悪らつな"族"たちだ。
パーキングエリアで、リーダーのクルマに撃墜マークを貼って、喜んでいる"族"たちを観て島尾は驚いた。
そのリーダーは女だった。その女の名は、小森美樹。
島尾が一年程前に教習所で運転を教えた娘だった。
レーサー島尾から観て、美樹 は反射神経と運転に対するカンが抜群だった。
反抗的な目つきと態度で他の教官からは煙たがられていたが、島尾には素直な生徒だった。
その美樹がリーダーとなっている"公道バトル族"は"カモ"を見つけると、3台の護衛部隊がカモを取り囲み、その先にいるリーダー美樹とのバトルに追い立てる。
大抵のクルマが、少なからず走りに自信を持っており、相手が女と見ると、躊躇することなくバトルに突入する。しかし、美貴はクルマの運転に対しては天性のカンを持っており、それが走り慣れたXY道路となれば、少しばかり腕に自信のあるドライバーでは立ち打ちできなかった。
島尾は、美貴のクルマの撃墜マークが9つまで増えた時、立ち上がった。
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XY道路で待ち構える島尾に対して、美樹のクルマがやって来た。
護衛団が島尾を挑発する。挑発に乗った島尾は、
サーキットを彷佛させる華麗なテクニックで護衛団を次々とクラッシュへ導き、
リーダーとの一騎討ちに持ち込んだ。
美樹を島尾が追う、2台のクルマのライトが生き物のようにからみ合う。
島尾にとって忘れていた緊張感が、再び蘇ってきた。
天武の才能を持つ美樹も、プロレーサーの前には歯が立たない。
抜かれた瞬間に島尾と判った美樹は、吐き出されるようにヘアピンからコースアウトしていった。
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1972年、3月、鈴鹿で晴邦と国光のカローラvsサニーの白熱したレースが展開されて以降、マイナーツーリングレースはサニーの圧勝となってきた。
日産の名機A12エンジンと軽量のB110型サニークーペが、サーキットを独占し、マイナーツーリングは誰が勝つかが焦点となっていた。
OHVながら、1300ccに拡大されたA12は150〜170馬力までパワーアップされ、それに対抗できるエンジンは無かった。
業を煮やしたトヨタが'76年にサーキットに持ち込んだのがDOHCエンジン搭載のスターレットだ。パワーはサニー以上、ボデイはカローラより僅かだが小さい分サニーに対して勝ち味があった。
1977年、1月。富士GCの前座マイナーツーリングレースで、ようやくサニーを破る事に成功する。
既に5年以上サーキットで熟成されつくしたB110を、ツインカム搭載とはいえ出来たてのスターレットが破るには、かなり苦労していた。
最新のスターレット16Vに、ストレートのスピードで劣らないサニーOHV。
僅かに、ツインカムの鋭い立ち上がり加速に勝るスターレット16Vは、コンマ何秒か先にチエッカーに飛び込む事ができた。トヨタの意地が、ドライバーに以心伝心した結果だった。
この年は、鈴木恵一、舘 信秀、そして見崎 清志が富士GCの前座マイナーツーリングレースでは、
全勝した。いずれも、スターレットが2〜3台エントリーして優勝の一台のみが、サニーに対して、コンマ何秒かの差でゴールインした勝利だ。残りスターレット勢はサニー勢に飲み込まれていた、景気良く表彰台独占とはいかなかった。
最新鋭のハードを持ち込んでも色褪せない、名刀のような切れ味がB110に備わっていた。
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'77富士グラン・チャンピオン・シリーズNo.4
富士マスターズ250キロ
マイナーツーリングレース
格式: 準国際
開催日 1977年10月09日
開催場所: 富士スピードウェイ
参加台数: 30台
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順位 | 車番 | ドライバー | 車名 | タイム | 周回数 |
1 | 18 | 見崎 清志 | クワハラスタ-レット | 0:37:11.000 | 23 |
2 | 25 | 高橋 健二 | GT Special Sunny | 0:37:12.000 | 23 |
3 | 20 | 鑓田 実 | スヒ゜-ト゛スタ-メッカサニ- | 0:37:12.000 | 23 |
4 | 84 | 早乙女 実 | オートアドバイザー東名サニー | 0:37:21.000 | 23 |
5 | 77 | 渋谷 栄治 | M&T サニ- | 0:37:46.000 | 23 |
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ |
14 | 1 | 舘 信秀 | トムススタ-レット | 0:00:00.000 | 14 |
15 | 2 | 和田 孝夫 | レ-シンク゛フォ-シ゛GTスヘ゜シャルスタ-レット | 0:38:20.000 | 14 |
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A12エンジンのB110サニークーペはその後も、豊富なパーツによる安定した足回りとDOHCに遜色ない高回転エンジンで、型式認定が切れる80年後半まで、サーキットを駆け巡ぐった。
アメリカのV8エンジンは未だに(2005年現在)OHVだ。アメリカ唯一のスポーツカー、最新のコルベットはアルミ素材も多用した新設計エンジンを搭載するが、型式はV8・OHVだ。
エンジンの慣性重量がエンジン軸とほぼ同一となるOHVの方が理に適っていると、コルベットの開発陣は言っている。
軽自動車までDOHCの日本に対するアメリカの意地かも知れないが、直ぐに右に習わない頑固さがいい。
サニーのA12エンジンを目の当たりに観ていた日本は、うなずける理論だ。
日産が日本のレース界に残した一番の足跡はB110サニークーペと断言したい。
2年後の79年グランプリのマイナーツーリングで優勝したスターレットは、その後、ワークスによるエンジンの開発が止まったことで、淘汰されていった。
高価なDOHCエンジンをチューンできるショップは少なく、いつの間にか、サーキットは戻ってきたB110サニークーペがサニークーペ同士でレースを展開していた。
<文中敬称略で使用させていただきました>
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'79JAF富士グランプリレース大会
開催日:1979年06月02日-1979年06月03日 開催場所:>富士スピードウェイ
天候:晴
参加台数:29台
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順位 | 車番 | ドライバー | 車名 | タイム | 周回数 |
1 | 18 | 見崎 清志 | クワハラスーパースターレット | 0:31:34.920 | 20 |
2 | 30 | 杉崎 直司 | つちやサニー | 0:31:35.140 | 20 |
3 | 24 | 鈴木 恵一 | ADVAN−Starlet | 0:31:38.370 | 20 |
4 | 25 | 萩原 光 | ADVAN−Sunny | 0:31:38.700 | 20 |
5 | 3 | 武藤 文雄 | レーシングフォージーサニー | 0:31:43.370 | 20 |
6 | 37 | 都平 健二 | スクーデリア・サニー | 0:31:49.220 | 20 |
7 | 1 | 星野 薫 | トムス・スターレット | 0:32:12.300 | 20 |
8 | 28 | 相葉 文男 | オオツカサニー | 0:32:14.280 | 20 |
9 | 20 | 長田 博之 | セントラル20サニー | 0:32:17.090 | 20 |
10 | 38 | 越野 照喜 | スピードスター東京堂サニー | 0:32:17.140 | 20 |
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ |
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16 | 7 | 鈴木 章 | トムス・スターレット | 0:31:41.880 | |
- | 19 | 池沢 さとし | マツオカサニー | - | - |
*サーキットの狼の作者"池沢さとし"がこの頃、実際にレーサーになっていた。B11サニーで。