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![]() 吾輩が高校生のころ、日本は高度成長時代でごんした。 いま、平成不況のまっただ中だと言われているが、高校の頃はその逆。景気がいいのでごんした。 歴史で言うオイルショックを迎える前の時期で、東名高速路が本格開通し、大阪で万博があったころ=1970年頃だ。今年日本でニ度目の万博、愛地球博が愛知県で開催されているが、EXPO70と呼ばれた大阪万博は、入場者5,000万人。日本人の約半分(一億人の)が見に行ったという記録破りのイベントだった。 そこで我が高校、県立「K工業高校」略して"カリコウ"でごんす。文字どおり工業高校。現代の水準で行くと、バカばかり。当時でも賢い奴はいたが、比較的成績の良くない(いや、絶望的に悪い)生徒が多かった。つまり、レベルが低い学校である。ここから大学へ進学するのは至難の技だった。同じ通称"カリコウ"と呼ばれる高校がもう一つあった。正式には県立「K高校」。こちらは普通科の進学校で、賢い子しか行けなかった。つまりレベルが高いのだ。県下8番目かの高校 ![]() このアホたちは通学の途中のC駅を我が物顔で歩き回って、そこを根城にしていたでごんす。 ![]() ![]() 先公の云う事を素直に聞くくらいなら最初からしない。体勢への反逆みたいな感じで、注意される事で逆に激しくなり。C駅を独占状態である。 すると"カリコウ"に対してさらに程度の低い"ヘキコウ"とか"トヨコウ"(すべて頭にアホがつく)たちが覗きに来た。 当然、アホ達はここでの利権が欲しくなる。なんとかハナシをつけたいが、どう考えても穏やかな話し合いなどできる雰囲気ではない。当然、成りゆきは戦いになる。"カリコウ"VS"ヘキコウ"VS"トヨコウ"のアホくらべと世間では云っていた。ダントツのアホがいた。わが校に。その男は、そんな強面とは誰も思わなかった。なんせ、授業中にオナニーして机とか床を汚し、みんなから「本当にアホだ」と云われていた。それでも授業中のオナニーをやめない事から、やがて「最強のセンズリ男」といわれる程にメジャーとなった("カリコウ"内で)。そのアホが"カリコウ"VS"ヘキコウ"VS"トヨコウ"のショバ戦争で切り札的な存在になるとは意外だった。 戦争が始ると、C駅の牢名主"カリコウ"は苦戦を強いられたでごんす。特に"ヘキコウ"と"トヨコウ"がある日から突然連盟を組んで"ヘキトヨ"になってから明らかに劣勢だありんした。パシリクラスから順にノシテいくのが当時の ![]() インチキくさい闘いだが、もともと動機がたいした事ないので、インチキしたもの勝ちだ。 戦いは進み、いよいよ、残すはタイショウ戦のみとなってきた、ここまでは"カリコウ"の1勝3敗1分け。タイショウで一発逆転しか勝機はないのだ。おもしろいもので、この対抗戦、大将が勝てばそれが全てなのだ。極端なハナシ、それまでのフクショウ戦までは全敗でも大将が勝てば ![]() いよいよ、タイショウ戦、どちらも品のない、女にもてそうもない巨大な男がでてきた。"カリコウ"は柔道部のキャプテン、"ヘキトヨ"は空手部の2年だが最強の男らしい。二人が対峙する、緊張の瞬間だ。その時、輪の外から「クラエー!!」という変なかけ声と共に、ビンに入った白い液体が飛んできた。液体はドローとして糸を引くようなネットリしている、そのまま、"ヘキトヨ"の最強男の頭にあたり、地面に落ちて派手に割れた。理科の実験に使うフラスコだ。"ヘキトヨ"の最強男は ![]() 臭い!! 強烈に臭い。生臭いのだ、その匂いを嗅いだ瞬間に、その白い液体が何であるか、若い高校生たちは判断した。全員が顔を見合わせ、悲鳴とともに散った。"ヘキトヨ"の最強男も、液体の正体を知って一目散に逃げた。残されたのは、"カリコウ"の面々だけだ。その彼らの視線が、一人の男に集まり、自然にその男を中心にした輪ができた。その男こそ「最強のセンズリ男」だ。タイショウの柔道部キャプテンが、白い液体が付いている手を差し出して「最強のセンズリ男」とがっしり握手をした。その手と手を放すと、糸を引いていた。「うへぇ!きったねえ!」 "カリコウ"達がタイショウ戦に勝利したことで長いC駅戦争は終決した。「最強のセンズリ男」が3日間で溜めた精液入のフラスコ弾が勝利を呼んだのだ。量にして牛乳瓶2本分(360cc)は優にあった。よくぞこれだけ溜めたものだ。それも腐敗気味で臭い、まだ匂う気がする。あんなものを浴びたら、相手もたまったモノではない。 |