本題に入るための前提条件----2
三種の神器の"金"がないのは、ハッキリ言って、ガイジンとして海外に住む意味すら考えさせる。アイデンテティの損壊というヤツだ。
その朝も、催促の電話を入れると案の定、明後日には確実、の返事だ。明日でなく明後日という処に、イマイチ、信用できない気持ちを持ちながら、電話を切る。
「いったい、俺は何してんだろ?」と自分への不甲斐なさが沸いてくる。
心底、落ち込む瞬間だ。
家にいるとイライラするのばかりだからと、外へ出る。
道路脇に生える大きな木を利用して、屋根代わりのビニールを張り、折たたみのテーブルを3つとプラスチックのイスを並べただけの、屋台が歩いて1分のところにある。
道路に面してタバコや缶ジュースを陳列した台車付きのショーケースがあり、その裏で、若い女の子二人がヤシの実ジュースか砂糖キビジュースを売っている。朝は朝飯も売っている。いつの間にか、バイクのパンク修理屋も店を並べており、何屋さんかわからなくなっている。
衛生上は保証できないが、わずか1,000リエル(35円くらい)で、旨いコーヒーを飲ませてくれる、ぼくの行きつけだ。
「カフェタッコウ、アッ ダスコウー?」
何も言わないでイスに、座っただけで一人の女の子が、お茶の入ったポットを置きながら、そう言った。
ふと、顔を上げると、彼女の顔が、もう何がうれしんだ?と聞きたくなるぐらい笑っている。
つられて、こちらも笑いながら、コクン、とうなずく。
「なんとかんとかかカントカ--。」
とクメール語で喋りながら、もう一人の女の子と笑ってる。
ぼくに好意を持っていて、会話したから喜んでるといった、感じではないことは、
カンボジア歴4年の自分にはわかる。
彼女たちは、本当に楽しそうなのだ。お客が来てくれる事が。
これは、ウソではない。カンボジアの人たち、得に、庶民的なカンボジア人は、些細な事でも、とても楽しそうにふる まう。言葉は悪いが、娯楽が少ないこの国の、下層で暮らす人たちは、みんな、信じられないくらい、明るい。
月給が30ドルでなにがそんなに楽しんだロ、という感じだ。
年頃の娘は「箸が転んでもおかしい」なんていう日本でも云うが、カンボジアの若い娘っ子たちもその状態だ。若い男でもそうだ。意味なくこっちが笑うと、向こうは、もっと楽しそうに笑いかえす。
南国特有の屈託のなさ、などといろんな書物に書かれるが、実際そうだ。
ただし、コツがいる。いきなりへらへら笑っていたら、これは世界共通の変質者の症状だ。
いくらなんでも、カンボジア人は怖がる。
肩の力を抜いて、相手を平行に見る事だ。
日本人特有の見下ろしたり、汚いモノを見るような視線では、相手から笑顔は得られない。
言葉は力だ、などと政治家みたいな論法は、所詮、同胞に対しての甘えだ。
言葉の通じない場所ではどうするんだい?
あるいは英検が1級程度の語学力で、本場ブリテッシュ民族に言葉で感動させられる?
目だ。目がモノをいう。笑う、怒る、泣く、全て目を見ればわかる。
人間は目を通して、その人間を信用する、しないを判断する。もちろん、間違いもあるけど。
そこで、気付いた。
たぶん嫌そうな顔をしてテーブルに座ったんだろうな、自分は。と
ふと、自分が恥ずかしくなった。たかが、金がない事で、イライラして、人間失格だ、
ろくでなしのノータリンと自分で自分を攻めて、悲劇のヒロインをやって自分が、バカに思えた。
金なんか、ないわよ、私達。あなたは、ちょっとばかりお金がアルから、落ち込むのよ。
きっと、彼女達は暗にそう言って、笑っているのだ。自分の半分くらいの年の女の子なのに。
「そうか、一円もなくても、なんとかなるわい。」
と妙な元気が沸いてきた。
勘定すると、彼女達は、やはり笑顔で
「オックンチュラ〜ン(ありがとうございました。)」
家へ向かう足取りが、俄然、軽くなった。
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