なだらかなルーフライン
ベルトーネがイタリアのカロッエリアギア社に所属している時に手掛けた、スペシャリテイカー。それが"ギア、いすゞ117クーペ"だ。なぜ117なのか、未だに知らない。筆者の誕生日が1月17日なのは偶然だろうか。湾岸戦争がぼっ発したのが1月17日。阪神淡路大震災が起きたのも1月17日だ。これも偶然だろうか?アメリカのニューヨークテロが起きたのは9月11日。ポルシエ911と何の関係モないはずだが。
今は、乗用車の生産から手を引いているいすゞだが、117クーペを販売したのが1968年。その3年前、トヨタからカローラ、日産からサニーが発売され俗に云うマイカー時代到来だ。当時のカローラデラックスが49.9万円。3年後の登場とは言え、117クーペは172万円、ざっとカローラ3台分。5年後の1972年に初代スカG-Rが154万円だった事から考えると、117は高かった。67年にデビューし今も名車の誉れ高いトヨタ2000GTが当時、234万円。
国産初のDOHCエンジン、2000cc150馬力、最高速度210km/h、何より美しいスタイルで007のボンドカーにもなったトヨタ2000GTは、当時としても"ベらボーに高い"。今の価格価値にすれば10倍の2,340万円に相当すると云われている。比較すると117クーペ、DOHCエンジン、1600cc120馬力、最高速度190km/h、4人乗り。スタイリングの美しさは2000GTとは別の意味で秀逸だ。117はその後、GMとの提携を通じて「こんな美しいクルマをなぜ、もっと売らないのだ?」と詰問され、73年、量産ラインに流す事になり、中期型、最終型へとカタチを変えていった。最終型はライトを角目4灯で、なだらかなボデイラインに違和感溢れるフロントをもつ、GMぽい姿で幕を閉じた。2000GTと117を比べると、トヨタといすゞの企業事情が。いやが上にも目につく。どちらも企業イメージの象徴として産まれた生い立ちだが、人間と同じで、一人前に育てる事の難しさを感じさせる。
2000GTは販売するまでに、スピード記録挑戦、耐久レース優勝、そして映画で世界的でビューと、すでに成熟させてのデビューだ。そして、たったの334台生産して終了。販売期間も4年弱。
企業イメージの象徴として、これ以上の手法はないといえる、完璧なまでの企業戦略だ。
いまも、そのスタイリングに魅了されるファンは世界中にいる。
117クーペ。2000GTとはまるで違うコンセプトで製作されているが、採算の合うクルマでない事は最初から分かっている。ジュネーブショーで登場し、2年後に販売。その後は市場にさしたるアプローチをする訳でなく、本社がGMと提携。その後は前述のとおり、サニーやカローラのクーペのように売るためのマイナーチエンジを繰り返して生産終了。たしかに2000GTの100倍は売ったが、その内容は叩き売りだ。筆者が大学生の頃(72年頃)ハンドメイドの117が、街の中古屋で20万円で売られていた。今考えれば、買っておけばよかったが、実車はダッシュボードにヒビが入った状態だったので、買う気も失せた想い出がある。トヨタ2000GTでこんな事は皆無だ。それどころか当時から中古車市場にでてこない存在だ。
GMと提携するまでの段階でいすゞは崩壊していたのだ。117はその悲しさがある。悲しさと美しさが同居するのは美人の常。いつの間にかフェラーリーやレーシングカーまでデザインする大御所になったベルトーネの本当の秀作は"初代の117クーペ"と云う声が聞こえてくる。
タイトルにした「柔らかなボデイライン」本当にそう言えるのはポルシエでもアルファでもない、"117クーペ"のみだ。
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